兵庫県寺畑前川における地下調節池計画の問題
2004年8月
1 はじめに
寺畑前川周辺地域で浸水が頻発、昭和58年(1983年)以降目だって多くなってきた。平成9年(1997年)には2度にわたって床上浸水、床下浸水を起こしている。兵庫県西宮土木事務所は地下調節池の設置を主とする寺畑前川治水計画を決め、事業が始められようとしている。平成11年度 河総(河)第1770-2-s01号「淀川水系最明寺川河川整備計画策定業務報告書 寺畑前川治水計画検討編」(平成13年3月:以下ではこれを「県の報告書」と略称)のV−72によると、流域面積1547km2延長1.07kmの河川に建設費52億円、維持管理費に50年間で28億円という多額の事業費が投入されることになっている。はたして、これが適切な事業規模といえるのだろうか。平成9年に直接被害を受けた住宅は床上浸水、床下浸水の家屋221戸で、建設費は被災家屋1戸当りにして2350万円に相当する。それに維持管理費で年間1戸あたり25万円がつぎ込まれることになる。事業費総額では1戸あたり3500万円になる。このことは行政側がこの地域の浸水対策を重視した結果の施策というより、多額の費用を要する事業の実施を目的とする強引で無理をした計画になっていることを窺わせると言える。
寺畑前川の浸水被害に対して、地元住民を含めた「寺畑前川川つくり懇話会」を2000年8月に発足させ、半年あまり協議し治水や環境について議論され、治水については (1)早急に整備すべき治水対策と (2)今後整備すべき課題をまとめ提案している。(1)の治水対策は10年確率の計画降雨に対応する対策として河床切り下げと地下式調節池をセットして行うとしている。10年確率の基本高水25立方メートル/secのうち15立方メートル/secは河床切り下げで10立方メートル/secを地下式調節池で対応するとしている。河床の切り下げ工事はすでに実施され完了している。この工事で現地の浸水対策はかなり改善しているが、10年確率の降雨に対応する水準を確保するため地下式調節池を設置することにしている。
地元住民も含め議論し決められた治水計画ということだが、結論を急ぎすぎたのではないだろうか。ここに県の治水計画の妥当性について検討するとともに、治水計画のあり方の方向を示そうとするものである。
国土問題研究会 寺畑前川調節池問題調査団
奥西 一夫(災害地形学)
開沼 淳一(土木工学)
都築 研二(土木行政)
中川 学(河川計画)
2 寺畑前川流域の地形・地質
寺畑前川流域はほぼJR宝塚線(福知山線)に沿う山麓線を境に上流域と下流域に分けられる。上流域はほぼ宝塚市の雲雀が丘地域(一部花屋敷地域)と一致し、住宅開発が進んでいる山地斜面である。川西市に属する下流域は、上流域から流れ込む1号幹線〜3号幹線と呼ばれる支流を集め、最明寺川に合流するものである。寺畑前川の地形図を図−1に示す。
上流部は山麓線が東西方向に走っている関係で、ほぼ南北方向のいくつかの谷から構成されているが、地形を概観すると、雲雀丘ゴルフ場のある長尾山の山頂平坦面から山麓線まで、急斜面とやや緩い斜面が交互に現れる。これは、表層地質が丹波層群と有馬層群の基岩が複雑に分布することと、有馬高槻構造線が山麓線あたりを通っていることを考え合わせると、有馬高槻構造線に平行する副次的な小断層の影響の現れではないかと考えられる。地盤構造については、概ね浅い部分が砂質で透水性が良いのに対し、少し深くなると粘土質になり、総じて軟弱である。そのため、地下水が浅く、あちこちで湧水が見られる。湧水量は通常は少なく、にじみ出る程度の水量であることが多いが、雨期にはかなりの量になる。寺畑前川の上流部で最も奇異に感じられることは、谷に川がないことである。これには宅地開発によって川を埋めてしまったという経過が含まれているかも知れないが、通常は暗渠化することはあっても川そのものをなくすることはおこなわれない。基本的にはこれは地下水の特性と結びついているのではないかと考えられる。すなわち、宅地化が進行するまでは、表層地盤の透水性が良いため、雨水は地下に浸透して、いわゆる表面流出を形成することが少なく、地下水が浅いために湧水が多いが、分散的に湧出するため、明瞭な川、または渓流を形成することがなかったと考えられる。ただし、1号雨水幹線沿いや阪急宝塚線の南側の急斜面には渓流が存在する。寺畑前川の上流部を形成する雲雀丘地域は、当初高級住宅地として開発され、1戸の住宅あたりの平均敷地面積が1000坪程度であったと言われており(2000年11月発行の「宝塚雲雀丘・花屋敷物語」参照)、最近まで表流水としての雨水流出が極めて少なかったことも原因のひとつと考えられる。このように、多くの部分で自然水路を欠いている結果、現在では道路下に幹線雨水排水路が設置されているほか、道路側溝が川の役割をしている。そのため、等高線から推定される流域区分と実際の流域はかなり異なったものになっている。
下流部では水系網の平面形が奇異である(図−1参照).水系網は通常樹枝状で、本流には左右から支流が流入するものであるが、東に向かって流れる寺畑前川の本流に対して、支流は北側からしか流入していない。そして寺畑前川の南側には最明寺川がほぼ平行に流れている。寺畑前川と最明寺川の間では地形傾斜の一般的傾向とは逆に北にゆくほど地盤が低くなっているため、寺畑前川は最明寺川に合流できず、上記のようにこれと平行に流れた後、かなり下流で合流せざるを得ない形になっている。しかも洪水時にはポンプによって最明寺川に排水されている。これは最明寺川がある常識的な勾配で流れているにもかかわらず、寺畑前川の河道にはほとんど勾配がないためである。このような不自然な水系網になっている背景として、有馬高槻構造線の地殻活動に伴って、寺畑前川の流路付近が地溝状に沈降していることが考えられる。これにやや類似の地形は高知県日高村の日下川に見られる。この川は仁淀川に合流するが、地殻変動で日高村の沖積平野が沈下しているため、仁淀川に合流するあたりの日下川は下流ほど高くなる逆勾配になり、毎年のように洪水氾濫が起こっている。寺畑前川は逆勾配にこそなっていないが、勾配がほとんどない変則的な川であるということができる。
3 上流部の開発・土地利用と寺畑前川の治水
寺畑前川の上流部を形成する長尾山南斜面(大部分は雲雀丘地域)は住宅地としてはかなり急傾斜の斜面であるが、明治年間に阪急電車の宝塚線が開通してからは交通の便が良くなり、見晴らしの良い住宅地として開発された。当時は生活水源を各戸の井戸に頼らざるを得なかったが、浅い地下水が豊富とはいえ、井戸の適地はそれほど多くなく、人口密度の高い住宅地の開発は困難であった。これが平均1000坪の高級住宅地が開発されたことの背景になっていたと考えられる(2000年11月発行の「宝塚雲雀丘・花屋敷物語」参照)。そしてこの地域では林地に近いほど緑が多く、雨水のほとんどが地中に浸透して地下水を形成し、降雨時の出水がほとんどないため、水系の発達が見られず、谷底にも川らしい川がほとんど形成されなかったものと考えられる。明治40年台に作成された1/25000地形図を図−2に転載するが、寺畑前川は3号雨水幹線が流入する地点よりも下流を除いて、本川、支川とも水無し川になっており、現在の雲雀丘地域から寺畑前川の低地部分への表流水の供給は極めて少なかったことがわかる。この時点では雲雀丘地域は住宅地として開発されていない。大正12年測量の1/25000地形図を図―3に示すが、この時点では雲雀丘地域は住宅になっている。 第2次世界大戦の後、大邸宅は占領軍によって接収されたが、接収解除後は少しずつ売却されたり、切り売りされたりして、跡地には社宅、マンションなどの集合住宅または小規模な戸建て住宅が建設され、1000坪程度の宅地はむしろ例外的になり、平均1戸あたりの敷地面積は100坪以下になっているものと思われる。このような「再開発」は現在も続いているが、その特徴は家屋の面積をできるだけ多く取れるようにしていることである。必然的に豊かだった緑は大きく減少した。その結果、雨水の地中への浸透が激減して表流水としての雨水流出が激増し寺畑前川の水害を大きくした。ただ、開発地の雨水は阪急と国道を横断し寺畑前川に流入しているが、その横断水路は整備された状況ではない。このことは結果的に寺畑前川への流入時間を引き延ばすことになり、寺畑前川の負担を軽くする効果があった。従って上流側開発地の雨水対策は上下流全体を把握したものにしないと下流側の対策が生かされないことになる。
寺畑前川の負担を軽くするための水害対策として雨水幹線や前川のポンプ場が設置されたが効果があがっているとは言えない。兵庫県の資料によるとアルテア橋上流部で寺畑前川に開口部を設け雨水幹線と連結させているが、このことが雨水幹線の負担になって雨水幹線の周辺の浸水を起こす原因になっていると思われる。
その後寺畑前川に対しては護岸の低いところについて部分的にパラペット工事を実施し、河床の切り下げ工事も行っている。兵庫県はこれだけでは不十分として地下調節池の計画を立て事業を進めようとしている。
4 兵庫県の作成した寺畑前川治水計画の問題
治水計画の策定にあたって重要なことは、対処しようとする水害の性格や原因、予想される災害の規模と頻度を十分に調査検討することである。それらを通じて的確な治水対策が立案されることになる。
まず水害の性格としては
- 土石の崩落や土砂の流出を伴うものであるのか
- 河川の水が溢水越流するのか(外水氾濫)
- 河川に流入できないで水路の水が溢れるのか(内水氾濫)等
それぞれの性格を明確にする必要がある。
また災害の規模と程度としては
- @ 家屋の倒壊など人命に関わるものか
- A 床上浸水など経済的被害が大きいものか
- B 道路冠水や床下浸水などで日常生活に支障をきたす程度のものかなど
その被害の程度を明らかにしなければならない。
災害対応の基本は、人命に関わるものや経済的被害の深刻なものを起こさないようにし、日常生活に支障をきたすという程度のものは許容するという、柔軟なものにすべきである。公共事業の財源は税金であり、立案された治水対策が適切な規模なのかどうかは重要なチェックポイントである。計画の対象となっている寺畑前川下流部は、地形勾配の緩やかな平坦地であることから、寺畑前川が氾濫した場合にも家屋が倒壊するような甚大な被害が発生するとは考えられない。したがって取り敢えずは床上浸水被害が起きないような対策を主な目標とし、異常な豪雨時には道路が冠水する程度は許容し、またそうした時に被害が拡大しないような対策を準備するようなことが必要と考えられる。
治水対策を河川改修や調節池など、ハード対策だけで対応するという考え方を変えていく必要がある。施設をことさら大きなものにする傾向を改めなければならない。うがった見方をすると、わざわざ調節池の規模を大きくし、建設費の拡大をねらったようにも見えるのである。
ここでは巨大調節池の規模の問題について立ち入って検討をしたい。
4.1 過大に算定された基本高水流量の問題
県の報告書のV−4頁以降によると基本高水流量は、猪名川流域整備計画に整合させるよう計画規模を1/10とし、次のような方法で算定されている。まず計画降雨については、洪水調節(貯留)施設を前提としていることから降雨継続時間を6時間とし、19年間の降雨データを対象に確率計算して計画降雨量を117o/6hとしている。一方流域の小さな寺畑前川では、ピーク流量に関係するのは継続時間が15分程度の降雨であることから、15分毎の雨量データが得られる平成9年以降の5降雨を対象に流出計算を行い、その内最大のピーク流量を与える平成9年8月7日降雨を採用し、基準点(神田小橋)におけるピーク流量を25立方メートル/sとしている。
ここで5個の基本高水流量の計算値をグラフ上にプロットし、それぞれのカバー率を計算した結果のグラフを図−4に示す。
カバー率とは、それぞれの計算値が他のデータをどれだけ充足するかを示す指標値のことで、それぞれの計算方法が正しいことを前提にして、確率論的にはカバー率50%の数値が今のケースでは10年確率の基本高水流量を示すこととなる。今回のケースでその最大値を採用したということはそれ自身が過大であることを示しており、しかもこの表において25立方メートル/sという数値が飛び抜けて大きいということが分かる。これは意図的かどうかは別として、以下のような不適切な雨量データの扱いの結果が反映していると考えられる。
計画規模を1/10として計画降雨量が算定されていることは先述のとおりであるが、図−4において、ピーク流量の最大値を与える平成9年8月7日降雨のデータに注意を要する。採用された平成9年8月7日降雨の実績雨量は125oで、6時間雨量として
の確率規模は1/13とされている。そして極端な超過となっていないことから、実績の降雨データをそのまま流出計算に使用したとされている(県の報告書V−26頁)。しかしこの降雨の実際の継続時間は3時間30分しかなく(県の報告書のV−14頁)、この継続時間に対応する雨量の確率規模は明らかにされていないが、1/10を越える規模であることは容易に推測される。
次に、流域面積のわずかな寺畑前川では、ピーク流量の算定に影響する降雨の継続時間は15分程度とされているが、この場合の実際の確率規模を検討する。採用された降雨の実際の15分間雨量は32.5oであるが(県の報告書のV−26頁)、この15分間の継続時間に対応する確率規模を、兵庫県が定めている降雨強度公式を使って逆算すると、以下のように1/40となって表向きの1/10を大きく越えることが分かる。
・ 32.5o/15分 = 130o/1時間
・ 兵庫県の短時間降雨強度公式(神戸エリア)の確率年40の計算式は
996.5/(t0.6 + 2.579)
で示され、継続時間t=15分の場合の降雨強度130oが算定される。
つまりこの治水計画は、計画規模を1/10としたと言いながら、実際には基本高水のピーク流量を1/40に相当する25立方メートル/sとしているのである。この点については、後の「4.4 適正な調節池容量の検討」の項で述べるように、このピーク流量を適正に設定すれば、河道改修を行うだけで調節池そのものが不要となるか、或いは設置する場合にもはるかに小さなもので済む可能性がある。流域面積がわずか1.5km2程度の小河川に対して、明らかにオーバースケールな巨大調節池が計画されているわけであるが、その裏付けとなる計算のやり方には、こうした数値のカラクリが隠されているわけである。
4.2 現況河川の流下能力の評価
河床を70cm切り下げする工事(図−5)はほぼ完成しており、これにより河床の切り下げ前の疎通能力6.7立方メートル/sは15立方メートル/sとなるよう大きく改善されている(県の報告書V−38頁)。しかも護岸天端の余裕高さ30pも確保されている。上記のグラフによればカバー率50%となる流量は16立方メートル/sであり、これを基本高水流量とすると、河床切り下げ後の疎通能力15立方メートル/sは所定の余裕高さも見込んだ数値であることから、現状の河道においても相当の安全性が確保されていると考えられる。これらの改修工事の完了した河道の現況を写真−1に示す。
さらにこれに加えて護岸天端のパラペットをさらに30p嵩上げすることによって、つまり現状の満流状態で評価すると疎通能力19立方メートル/sを確保でき(第3回懇話会事前協議資料8頁)、10年確率は満足することになる。ただこの場合、橋梁の嵩上げ(桁下の高さを余裕高さを含んだ高さにするため)か橋梁部からの氾濫防止のため橋梁の両端で橋梁の横断方向に「差し板」等の整備が必要とされ、いずれも実施困難として採用されていない。しかし同じく兵庫県の管理する新湊川では、菊水橋や洗心橋などにおいて橋梁桁下の余裕高さを確保できないことから、橋台背面に仮設の水防柵を設置するように措置されており、10年に1回程度という非常時のみに採用される対策案としては決して非現実的なものではないと考えられる。
またこのパラペットの嵩上げ高さ30pは計画高水位から上の余裕高さに相当するものであるが、橋梁の桁下高さについてもこれを確保するよう河川管理施設等構造令で規定されていることの趣旨は、流木などによる埋塞を防止するためのものである。本川の場合ほぼ全域が市街化している上に上流部の河道が小さく、そうした恐れはほぼ無いものと考えられ、また勾配の緩い掘り込み河川であることから、洪水が溢れた場合にも安全面での問題は少ないと考えられる。
橋梁横断の「差し板」が困難というなら、どうしても氾濫させない橋と我慢できる橋を分け、対応の仕方にウエイトをつけるというやり方もある。参考として同構造令において、本川合流部の支川に逆流防止のために設けられる堤防(バック堤防)については、本川高水位からの余裕高さを確保しないことが特例的に認められている。つまりこの場合には、橋梁部から洪水が氾濫しないように、橋梁側面部の地覆高さを上下流のパラペット高さまで嵩上げするような措置をとることとされているもので、これと同様の対策をとることも現実的であると考えられる。
4.3 過大に算定された調節池容量の問題
確率規模が10年確率の5個の降雨パターンを基に流出計算が行われ、平成9年8月7日型の降雨波形による計算結果が採用されたことは先に記したとおりであるが、このハイドログラフ(洪水流量の時間変化を示した曲線)を基にして、河床切り下げ後の疎通能力15立方メートル/sを超える洪水を調節するために必要な調節池容量が計算され、その結果が19600立方メートルであるとされている(県の報告書のV−42頁)。県の資料では5個の降雨パターンに対応する調節池容量について、現況河道の疎通能力の場合と河床切り下げ後の場合に必要とされるそれぞれの容量が算定されており、それをカバー率の概念も加味して図−6に示す。
このグラフにおいて、左側の5個の●印の数値が河床切り下げ後の疎通能力に対応する必要な調節池容量を示しており、河床切り下げ前の必要な調節池容量(右側◆印で示した網かけの数値)に比べて改善効果の大きいことが分かる。つまり河道の疎通能力をもう少しでも改善できれば、もっと小さな容量で済むことができることが伺われる。
また同グラフにおいて、採用された1万9600立方メートルという容量が他の4個のケース
に比べて極端に大きいことが注目される。しかも第2位の3800立方メートルを示す降雨は平成9年7月13日のもので、1時間雨量としての確率評価は1/25であり、6時間雨量としては1/12というように(県の報告書のV−26頁)、1/10という計画規模を上回るものであることを考慮すると採用された1万9600立方メートルという数値が相当に過大であり、上記のピーク流量の算定の問題と同様に特異なデータと考えられる。
5個の計算結果の内、第2位の3800立方メートルを採用した場合には、寺畑前川に面した用地約4000平方メートルを利用すれば水深1メートル程度のもので洪水調節が可能となることが分かる。
もとより、計画された地下調節池の場合には巨額の建設費が必要な上、日常的には施設は全く利用されることはなく、しかも数年に1回程度の利用頻度にも関わらず維持管理に膨大な費用が必要と想定される。これに対し平面的な遊水池の場合には、日常的に公園的利用も可能であり、建設費・維持費共格段に安価に済むことが明らかである。
また同表において、河床切り下げ前の場合に必要とされる調節池容量はほぼ比例するように直線上に並んでいるのに対し、河床切り下げ後の場合には、採用された数値のみが突出していることが読みとられるが、これは意図的に過大な容量が算定された可能性を伺わせるものである。
4..4 適正な調節池容量の検討
意図的に過大な調節池容量が設定されたことが伺われるのは上記のとおりであるが、以下にその内訳を子細に分析し、併せて調節池を設置するとした場合の適正な容量を試算する。
県の計画で採用された基本高水のハイドログラフと洪水調節波形を図−7に示す(第2回懇話会事前資料20頁)。これによれば洪水調節を行う時間が2時37分頃から3時23分頃までの46分間程度となっており、他のケース(県の報告書のV−43〜47頁)に比べてその時間が長いことが特徴である。そして洪水のピーク流量が25立方メートル/sと、鋭いカーブになっていることを特徴として挙げることができる。つまりこの25立方メートル/sという計画値を見直せば巨大な地下調節池は不要であることが明らかである。次にこのグラフによれば洪水流量が15立方メートル/sを超えた分を貯留するように計算されていることが分かるが、この15立方メートル/sという「疎通能力」は護岸の余裕高さ30pを見込んだものである(護岸の天端より30cm低い水位の流れ)。ここでこのハイドログラフにおいて、満流時の疎通能力19立方メートル/sを超える洪水を貯留する場合の調節池容量を試算すると、3600立方メートル程度となる。つまり、「4.2現況河川の流下能力の評価」の項で記したように、余裕高さに相当する30p分パラペットを嵩上げした場合には、調節池容量は3600立方メートル程度で済むことが分かる。
5 巨大な地下構造物による治水対策の問題
地下調節池は円筒状の巨大構造物で外径35m、内径30m、円筒の外側の深さは51.7m、雨水を溜める内空の深さは29.5mです。高さが外と内で22.2mも違うのは、浮力対策として円筒の底の部分をコンクリートで埋めてオモシの役割をさせるためである。地下式調節池は寺畑前川の流量が増大し、寺畑前川の疎通能力とされる15立方メートル/secを超えるとその超えた分を横越流させ、それを水路で地下式調節池に導き、雨が止んだ段階で地下式調節池に溜まった水をポンプで寺畑前川に汲み上げるというものである。
さて、最近技術の進歩に伴い大深度の地下構造物が注目されている。また、大都市の治水対策として地下水路や地下タンクなどの施工例も見受けられるようになっている。しかし、他に例が有るからといって地域事情が大きく異なることを無視し、採用するのは問題である。懇話会の中でも早急に整備すべき治水対策の具体的方法についても議論の対象になったに違いないと思われるが、色々な視点から十分に議論をして結論を得たということではないようである。
地下調節池を採用することになった選考基準は、「工事を進める上で用地や補償の問題の少ない方法」ということであったようである。地下調節池の他に河道拡幅、最明寺川への放水路設置等が代替案として取り上げられ、いずれも上記の用地・補償の問題から適当でないという結論を出している。
事業を進める上ではこのことは重要かもしれないが、そのことだけでは不十分である。その構造物とずっと付き合うことになる行政機関や住民にとっては違った視点で評価することも必要なことで、それらは次のとおりである。
- 施設の機能の管理状態が分かり易いこと、 管理しやすく、管理費が高くないこと
- 施設が危険でないこと
- 施設に多様な効能があること
等である。それらについて立ち入って検討を行う。
(1) 管理問題
言うまでもなくどのような施設であっても、その施設の機能が常に発揮できる状態を保っていなくてはならない。当該地下調節池方式の場合は寺畑前川に設置される越流堰、導水管、地下調節池、ポンプ、調節池の水を寺畑前川に送り出す放流管等のそれぞれがその機能を果たせる状態を保っていなくてはならない。ところが地下調節池は通常慣れ親しんでいる公共施設と大きく違うことがある。それは市民の目に見えない施設であるということである。多くの人々が日常的に目にする道路、公園、河川の場合、災害や事故に結びつく異常を発見する多くは市民である。そしてその通報によって行政が対応を行っている。市民の通報によって大きな事故になるケースを未然に防いできていると言える。しかし地下調節池の場合、行政機関のみで施設の支障の有無の点検をしなくてはならない。そして、地下調節池は日常的に使われることはなく、10年確率相当の施設ということであり、数年から10年に1度その機会があるかどうかである。それだけに施設の状態を把握するためには、管理体制が明確であることや管理費用の裏づけがあることが求められる。
実際に使われることは少なくとも、常に稼動できる状態にしておかなくてはならない。越流堰や導水管にものが詰まっていないか、土砂などの堆積が無いか、調節池に土砂などの堆積が無いか、もしそのようなものが有っても容易に取り除ける施設の状態になっているのか、地下水の漏水で水が溜まっていないか、ポンプや放流管に支障が無いかなどなどの点検をしなくてはならない。特に、ポンプについては実際に運転して点検しなければ故障が有るかどうかは分からない。点検の為には調節池に水を入れ、その水をポンプアップしなくてはならない。労力と費用のかかる点検を定期的に行うことが必要となる。また、ポンプの場合実際に使うことが無くとも10年ほど経過すれば取り替えなくてはならないことも想定される。その費用も捻出しておく必要がある。
日常的に使われること無く、数年から10年に1度の割合しか実際に使われることがないだろう施設の管理のために、これから先ずっと労力と費用を投入しなくてはならないが、大きな負担になることになる。50年間で28億とはじき出されている(県の報告書のV-72頁)。年間5000万円を超える負担である。
A 危険な構造物
何らかの原因で数十メートルの深さの調節池に転落すれば助かる見込みはない。当然のことだが、寺畑前川と調節池は連結しているわけで、しかも10立方メートル/secの水を流すことが出来る断面が確保されるが、その断面は当然のことながら小さなものではない。寺畑前川の横越流部や管理用のマンホールから誤って人が入り込むことが心配される。調節池への浸入防止のために網やスリット状のものを設置するとゴミなどがひっかかって、調節池への水の流入を妨げる。従って網やスリット状のものは設置できないわけで、寺畑前川と調節池の間は何も無い状態のままにしておかなくてはならない。また、調節池の点検やゴミや土砂の撤去作業では酸欠による事故なども十分に考慮しておく必要がある。
人がその施設に近づくと危険となる施設が民家近くにあることは好ましくないのは言うまでもない。
B 常時は無用の構造物
当該調節池は数年から10年に1度程度しか目的を果たさないような公共施設である。目的を果たす時は稀で、ほとんどの時間は無用の施設である。日常の時にどのようの役割を果たさせるのかという問題は決して小さなことではない。地下調節池は豪雨時に水を溜めるという効能以外何もないが、河川改修や地上の調節池の場合は水を流す、水を溜めるということ以外にも多くの人たちに大切なことを提供する可能性を持っている。川の堤防は散歩やサイクリング、水辺は生き物の棲家、子供の遊び場にもなる。調節池が地上にあれば広場、運動場として活用できる。建築物が無い空間、空が見通せる空間が提供できるということだけでも貴重と言える。
調節池方式を採用するとしても地下でなく、地上に造ることを追求すべきではないだろうか。そうすれば広場や運動場として活用できるというだけでなく、川の水の流入口の状態など、一般の市民でも誰の目にも本来の調節池の目的を果たせる状態なのかどうかはすぐに分かる。池の高さの設定の仕方でポンプなど使用せず、雨が止めば自然に川に水を戻すようにすることもできる。維持管理もずっと容易になるはずである。
平面的で多目的な調節池として、普段はテニスコートとして利用されている横浜市の洪水調節池の例を写真−2.1及び写真−2.2に示す。また、兵庫県によって計画されている地下調節池計画地の現況を写真−3に示す。
6 おわりに(寺畑前川の治水対策に求められるもの)
第4章と第5章では早急に整備すべき治水対策として提示された県の計画内容について検討をしてきた。この計画内容の問題は先に記したとおりであるが、今後の治水計画の中に当面の対策を位置づけるということがされていないことも問題である。斜面地開発に対する今後の対応、阪急や国道を横断する排水路のあり方など流域全体の治水について計画を立て施策を行っていかないと、せっかくの治水対策工事の効果がなくなってしまうことになる。従来どおりの野放図な開発や雨水排水を許せば、各支流の流量配分がきちんと評価されていないため、調節池にはまだ余力がある時点で寺畑前川が氾濫してしまうという可能性もある。このような矛盾をはらんだ治水計画になっているのは、何をさておき、流域の開発と土地利用に関して何の展望もないまま、ハコモノ行政的な治水対策だけに頼ろうとしているからである。上下流間での洪水処理の協調もうまく行っていないようである。これは治水対策における縦割り行政の弊害と言えるが、寺畑前川は下流域が川西市に属し、上流域が宝塚市に属しているというように、行政区域が相違するという事情に加え、河川管理者の兵庫県は上流部の治水を考えないで、下流部の一級河川部分だけの治水対策を考えるという、不合理性を抱えている。つまり2重の縦割り行政のために、総合性のない治水計画になってしまっているのである。
雲雀丘地域が名実共に高級住宅地であった1960年代頃までは、道路側溝を雨水排水路として利用するだけで事足りていたようである。ただし、この頃まではJR線路よりも南の低地部分では寺畑前川は未改修で排水機場もなかったため、寺畑前川は頻繁に氾濫していたと考えられる。この部分が住宅地として開発されてからは、上流部からの雨水流出の抑制が強く求められることになったが、上流部の雲雀丘地域では大邸宅跡を細切れにして一戸建て住宅を建設したり、地下室マンションを建設したりして、雨水流出を増加させるような、なし崩し的な「再開発」が進む一方であった。雲雀丘地域のかなりの部分は砂防指定地になっているが、砂防法の趣旨に沿って雨水流出や土砂流出の増加を防止するための有効な開発規制はほとんど行われていない。また、建蔽率規制も前述のような雲雀丘地域の特殊性を考慮したものにはなっていない。開発を認めるのなら雨水の各戸貯留や要所要所に調節池を設置する程度のことは雨水流出減少のための方策として条件づけるべきだが、そのような流域対策も全く考慮もされていない。
寺畑前川の合理的な治水のためには、まず土地利用計画を策定し、それに沿った開発規制を行い、流域内貯留などの流域対策に努めるべきである。その上で雨水流出予測をおこなって、これに対する治水工事計画を策定するべきであろう。幸いこの地域には河川整備について行政と住民が話し合って行く協議会方式が機能しているので、単に行政側から提案されたハコモノ的な治水計画の是非について検討するのではなく、流域全体の将来像を見据えた治水計画について話し合って行くことが可能である。流域が川西市と宝塚市にまたがっていることから、行政側として流域一貫の総合的な治水を推進しにくい事情も理解できないではないが、流域住民の参画と協働を得て、この限界を突破していくことが期待される。 |