被災地・宮城県(石巻、南三陸、気仙沼)へ
宮田しずのり県議 (「兵庫民報」より転載)
日本共産党兵庫県議団は、6月1日から3日の日程で、東日本大震災の被災地・宮城県を訪問しました。まず16年前の阪神・淡路大震災とも違う、被害のすさまじさを感じました。見渡す限りの瓦礫の山、ぐちゃぐちゃになった車のかたまり、家々、鼻につく匂い。 同時に、地元の共産党議員団、役所の職員の懸命な活動を見て、被災者といっしょになって悩み、活動し、政治を前にすすめるために全力をつくした経験は、共通のものだと感じました。 兵庫からのさらなる支援と、「地方行革」などのまちがった方向を転換する必要性をあらためて強く決意しました。
○宮城県議団長と
「水道、電気などライフラインが復旧していないところも多い」「まだまだ被災者救援に全力をつくさねばならない」―――1日に懇談した横田有史宮城県議団長の話が、被災地の現状を物語っていました。(写真右) 兵庫県は、被災地のなかで宮城県を担当し、被害の大きな石巻市・南三陸町・気仙沼市という3つに現地支援本部を置いて、県や市町の職員を応援派遣しています。
■横田県議のブログ→http://yushi-yokota.web3plus.net/modules/wordpress/index.php?p=247
○保健師などの専門職が力を発揮
兵庫県は、3月22日からローテーションを組んで現在まで12陣の応援をしていますが、特に、避難所や自宅避難している被災者を訪問し、直接、健康状態の相談にのったりしている保健師の方々は、地図を頼りに家々をくりかえし訪問するなど、救援の最前線でもう奮闘されていました。 (写真左は、兵庫県の南三陸町支援本部) ○市町合併や公立病院減らしの影響 石巻・南三陸、気仙沼もそうですが、宮城には最近合併した市町が多く、以前全体で71あった自治体が35にまでなっているそうで、「旧町長がいなくなって、連携がうまくいかなかった」との声も聞かれました。 また、36名の町職員が亡くなった南三陸では、先月30日にやっと電気が復旧し、仮設の役場で仕事をつづけています。 ここでは、地元の公立志津川病院が被災し、仮設で診療所を開き、公立病院減らしで休止した隣町の診療所を間借りすることになったそうです。 これまで政府がすすめてきた「民間任せ」「地方行革」の政策の間違いが浮き彫りとなっています。 (写真右、南三陸町長と)
○漁協などと、「1万年前から知っているような関係」に
宮城県知事は、企業参入の水産特区や復興増税を主張し、復興計画も、被災地の住民に建築制限をかけ、東京のコンサルタント(野村総研)まかせという、被災地の知事のなかでも特に被災者無視の姿勢が顕著です。 そのなかで、「漁協や農協との様々な協力・共同が広がっているのが大きな希望」。「まるで1万年前からの知り合いのように急速に通じあってる」(中嶋廉宮城県政策委員長)との話に、感銘を受けました。。
|