明石・歩道橋事故から4年 遺族勝訴判決確定
(7月21日付「しんぶん赤旗」より)
兵庫県明石市の花火大会(二〇〇一年)で起きた歩道橋上の“群集なだれ”で十一人が圧死、二百四十七人が負傷した事故から二十一日で丸四年。先月二十八日、遺族が県(県警)、明石市、警備会社に損害賠償を求めた訴訟で、神戸地裁が遺族の主張を全面的に認めた判決を言い渡しました。三者は控訴せず、判決が確定。県警本部長は三日、「判決を全面的に受け入れる」とのべ遺族に謝罪し、十七日に前市長も謝罪するなど、事態は大きく前進しています。(兵庫県・喜田光洋)
■準備から警察に法的責任 同判決は、「雑踏警備計画の策定の不備が、事故発生のもっとも大きな原因」として、当日の警備の不備とともに、三者の「事前準備段階の過失」を認定しました。 約半年前に同じ場所で実施された世紀越えイベント「カウントダウン」(約五万五千人参加)でも歩道橋が大混雑し、約十三万人が参加した花火大会で事故の危険は容易に予測できました。 ところが、明石署は暴走族・事件対策に二百九十三人の警察官を配置する一方、雑踏警戒班がわずか十六人という警備体制を敷き、当時の署長は「雑踏警戒班て何するんや。何もすることないやろ」と同要員を減員させました。警備会社は「カウントダウン」の警備計画書を丸写しした計画書をつくり、市も警察もその適否を検討もしませんでした。こうした、参加者の安全確保や事故防止の観点が何もない、ずさんな警備計画や事前準備で事故を招いた三者が判決で断罪されました。 裁判で県警は、「雑踏警備は主催者の自主警備が原則。第一の責任は明石市にある」と責任逃れの主張をくり返しましたが、判決は、法令をもとに「警察の雑踏警備は、主催者側の自主警備を補完するものにすぎないと解すべきではなく、主催者側が自主警備を実施することにより、警察の責任が軽減・免除されることはない」「兵庫県の身勝手な主張は遺憾」と明快に退けました。
■元署長起訴求め 渡部吉泰・弁護団代表は「判決で、雑踏警備の準備段階から警察は法的責任を負うこと、主催者まかせにしてはいけないことが明確にされ、それを県警が受け入れたことは、歴史的な意義がある」と指摘します。 遺族は、今後の課題として、事故現場を写したモニターテレビの録画の有無、当日現場から多数あったはずの一一〇番通報がどう扱われたかなどの解明や、救護体制の確立を訴えています。さらに、刑事裁判で神戸地検は不起訴にしましたが、今回の判決で過失が指摘された明石署の当時の署長や副署長の起訴を求めています。
■「やっと思い通じたよ」 原告団長 下村誠治さん(47)=神戸市垂水区
事故の原因究明、責任の所在の明確化、再発防止にむけてたたかってきた遺族の四年間の思いを、二男の智仁ちゃん=当時二歳=を亡くした原告団長の下村誠治さん(47)に聞きました。
判決では、遺族が当初から訴えてきたことが全面的に認められました。特に、準備段階から警察、明石市、警備会社の三者それぞれに第一次的責任があると認めたことは大きい。県警本部長から謝罪があり、一つの区切りがついたと思います。ただ、うれしい半面、何で四年もかかってこんな当たり前のことを遺族が立証せなあかんかったのかとも感じています。 残された課題として、一つは救護体制をとっておくべき必要性が判決で認められなかったこと。子どもたちは長い間、路上に寝かされていたんです。腕のなかでこう着していくわが子に心臓マッサージをするのがどれだけつらいか。一一〇番のこともはっきりさせてほしい。当時の証言でも百本以上あったのに、元明石署長は一本しか聞いていないなんて、考えられません。 雑踏警備の最高責任者だった署長と副署長は、当日職務放棄をした上、法廷でも「八時に人が流れていた」などとウソの証言を繰り返しました。必ず起訴させたい。
■声あげ続ける この四年、僕らは家族を助けられなかったという負い目を抱えながら、雑踏警備の勉強や資料集めなど力を合わせて裁判にとりくんできました。信楽高原鉄道事故をはじめさまざまな遺族や市民の方に後押しされて、ここまでこられました。 智仁には「やっと思いが通じたよ」とだけ報告しました。“勝訴”といわれますが、僕らにとっては当たり前のこと。彼らに報告できるのは、これから当事者が何をしていくかということです。同じ思いをする人をつくらないために、警察や行政だけでなく、市民一人ひとりが自分の身になって考えてほしい。僕らは声をあげ続けます。それが残された遺族の役目だと思う。 |