「震災復興10周年にあたっての決議」について
異例ではありますが、「震災復興10周年にあたっての決議案」について討論します。
決議案については、まず震災復興の現状認識について同意できません。阪神・淡路大震災復興本部の設置条例の廃止について、今年は確かに10年の一つの区切りではありますが、なお復興途上にある点からわが党は反対しております。現状を述べただけと言われていますが、「平静を取り戻しつつある」という表現には、同意できません。
被災者は住宅問題だけではなく、震災による働き先の倒産などによる失業。営業不振からくる生活難、健康の破壊等々、二次被害の苦しみが続いています。このような状況を無視した現状認識は、被災者の思いとは、大きくかけ離れたものです。
いま特に県が、被災者支援策を大幅に縮小しているなかで、県議会こそ、その追認でなく、対策の強化こそ求めるべきであり、震災対策を「住宅再建共済制度」にわい小化することは誤っています。
河田・人と防災未来センター長は、全国議長会定例総会記念講演で、災害に学んだ新しい防災・減災と題して、自助・共助・公助が7:2:1であったと述べられています。わたしは、気の毒な恩恵を与える立場からの公助であってはならず、危機に面しても国民あっての国家、県民あっての県政が問われたと思います。
このような時に、公助をしっかりとさせることを求めるのは、近代市民社会の納税者としての当然の権利であり、要求であります。公助を基本的に確立する個人補償を行うことは、ロス・アンジェルスの地震でフィーマが行った即座に配られた小切手からも資本主義の総本山のアメリカでやられていることです。当然共済制度のような、一部の利用者同士が助け合う共助はあくまで補完的手段にすぎません。無差別に助け合ったボランティアによる共助と同列視することはできないではありませんか。
「自助」について付け加えれば、県議会の決議は、なによりもまず10年間にわたって自力で復興に努力した被災者のみなさんに感謝と敬意を表するのが筋ではありませんか。
決議案の内容についての不同意の中心点をできるだけ簡潔に申し上げました。
次いで、その形式について申し述べることをお許しいただきたいと存じます。
わたしたち県議会議員は、一人で人口約6万人の代表として公選法で選ばれています。それだけ責任と矜持(きょうじ)をも持たなければなりません。一人ひとりの議員が構成している議会は、さらに一層の重みをもっていることは申すまでもありません。大震災10年の決議は、いわば「宣言」とも言えるもので、満場一致であるべきであります。議会の運営は、議論をつくした上での多数決が原則でありますが、このような重大な決議は、意見の違いがあれば、採択を強行すべきではありません。
残念ながら、内容において、一致できない場合、多数決では議会有志による決議となります。そのような決議で議会の権威が守られるのか、対外的にも県民にも、どのように受け止められるのか、議員各位の御賢察を願い、わたしの発言といたします。
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