「平木橋」等の現地保存を求める申し入れ
「平木橋」等の現地保存を求めて、加古川市の樽本庄一市長に申し入れを行いました。以下、その内容です。
加古川市野口町に現存する平木橋は、「石造アーチと煉瓦壁」の組み合わせ構造で、優美な造形とどっしりとした力強さを併せ持つ、近代アーチ橋としては都道府県指定の重要文化財級に相当するものといわれています。しかも全国的にも珍しい英文名版をもつ貴重な施設です。 この平木橋は、綿花栽培を主とする畑地として開発されていた水の乏しい印南野台地で、稲の生産量を上げるために民間の力で造られた淡山疏水の末端に位置し、当時の農民の水との闘いを象徴する歴史的遺産であり、血と汗の結晶でもあります。 さらに、平木橋の下には江戸時代に造られた高堀溝が交差し、平木橋の北側には明治時代のサイフォンが現存していることが分かっています。つまり、江戸・明治・大正期の土木遺産が集中しているのです。 2004年8月には「平木橋保存検討委員会」が設けられ、1年間にわたって4回の委員会が開かれました。その間、産業考古学会から加古川市長あてに、また土木学会土木史研究委員会から加古川市長と兵庫県知事あてに平木橋保存要望書が送付されていますが、委員会は現地保存と移設保存の両論併記の提言案が示されて終了しました。 結局、両学会からの要望書に基づく現地保存の真剣な検討が行われず、県の結論としては、平木橋のみの近隣の溜池への移設ということになりました。しかし、たとえ煉瓦の損傷なしに移設がなされたとしても単なる展示物にすぎなくなり、当時農業に命を懸けた農民ひとり一人の思いと歴史的背景が切り離されてしまいます。ましてや、高堀溝とサイフォンは見向きもされないまま消えてしまいます。土木遺産は「現地保存」が原則であり、淡山疏水全体の繋がりの中で保存してこそ、「歴史的文化遺産」としての意味があります。 歴史的文化財は一度壊せば二度と造ることはできません。市の貴重な財産としての価値があるものがその価値を失うことを見過ごしていいものでしょうか。稲美町では、淡山疏水線上にある掌中橋(平木橋の約3分の1)一帯を公園にして現地保存することになっています。 東播磨南北道側道の計画を変更するなど、後世に対して「誇り」となる、平木橋・高堀溝・サイフォンを現地保存されるよう、強く申し入れ致します。 |