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2007年10月06日

アスベスト訴訟 神戸地裁で第1回口頭弁論

「クボタ・国は責任認めて」、尼崎住民の遺族陳述

クリックで大きな写真を表示 大手機械メーカー「クボタ」旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の近隣に勤務していたために、アスベスト粉じんを大量に吸い込み中皮腫で死亡したとして、遺族の男性がクボタと国に損害賠償を求めた訴訟の第一回口頭弁論が5日、神戸地裁(下野恭裕裁判長)でありました。クボタと国は争う姿勢を示しています。
 1996年1月8日に父の孝次郎さん(80)=当時=を亡くした山内康民さん(59)は意見陳述で、「亡くなる一カ月前にはベッドの上でエビのように体を丸め痛みに耐えていました。九六年の元旦、がまん強かった父が『こんなに苦しいなら死んだほうがましや』と言い、一週間後、もがきにもがきつづけて亡くなりました。人の痛みが分かるならば、クボタも国も責任を認めてください」と訴えました。
 孝次郎さんは39年から75年までクボタ旧神崎工場から約五十メートルの距離にあるヤンマーに勤務。44年から68年までクボタから550メートルの距離に居住していました。
 2005年に中皮腫で亡くなった隅本郁子さん(45)=当時=の夫で、山内さんとともに提訴している義勝さん(54)も意見陳述に立ちました。
 「妻は息苦しさを訴え、団地の五階まで上がってくるのに三十分もかかるほどでした。一人で苦しんでいた郁子の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうな思いになります」と語りました。
 原告弁護団(藤原精吾団長)は、尼崎市内で石綿を使用していた39事業所のうち年間5,000トン以上使用していたのがクボタと関西スレートだと指摘。国は60年には、周辺住民や従業員家族の被害を予見できたのに健康被害防止の義務を怠ったと主張しました。

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